約 1,122,558 件
https://w.atwiki.jp/nakatan/pages/6.html
https://w.atwiki.jp/madofuki/pages/59.html
関西ミステリ連合冬の総会2017 本イベントは終了いたしました。 今年の関ミス連総会には、古野まほろ先生をお呼びします。 講演会には、一般の方もご参加いただけます。 ぜひご来場ください。 期日:2017年12月2日(土) 場所:立命館大学衣笠キャンパス 明学館401 開場 13 00~ 開演 14 00~ 終了 ~17 00(予定) 入場料:無料 入場について:先着順 当日の入場は開場後に先着順で受け付けます。 会場の席数には余裕がございますが、 収容上限を上回ると判断すれば、入場を制限させていただく場合もございます。 あらかじめ、ご了承ください。 形式:質疑応答 当日来場された方の質問に、古野先生より回答していただきます。 事前質問: 当日参加いただけない方に向けて、事前質問を募集したします。 事前質問は、メールおよびTwitterのDMにて承っております。 名前(ニックネーム可)と質問をご記入いただきますようお願いいたします。 なお、構成の都合上利用できない場合もございますので、あらかじめ、ご了承ください。 メールアドレスはこちら ritsumys@yahoo.co.jp Twitterアカウントはこちら @Ritsmys サイン会: 実施いたします。 対象書籍のいずれかをご持参していただきます。 対象書籍 『全日本探偵道コンクール セーラー服と黙示録』(角川文庫) 『R.E.D. 警察庁特殊防犯対策官室』(新潮文庫nex) 『禁じられたジュリエット』(講談社) 新刊を特に対象としたサイン会ですが、 思い入れのある既刊をお持ちいただいても構いません。 ※参加者多数の場合は、抽選となることがございます。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/68.html
2010年4月17日 最終更新:2011年6月22日 どこかの出版社で邦訳してくれないかなあと個人的に思っている作品のタイトルをただ並べていくコーナー。 1.長編 すでに邦訳が出ている水天一色(すいてんいっしき、シュイティエンイースー)の長編と、上でもあげた杜撰の長編を挙げる(未読)。 水天一色 杜落寒シリーズ 『校园惨剧』(校園惨劇)(学校の惨劇) 内蒙古人民出版社、2008年 『盲人与狗』(盲人と犬) 内蒙古人民出版社、2008年 学生探偵の杜落寒(ドゥールオハン)が活躍するシリーズ。 作者の水天一色は1981年生まれ。 日本で『蝶の夢』が刊行されている「乱神館記シリーズ」は、中国でもまだ1作しか刊行されていない。 杜撰 『时之悲』(時之悲) 北京出版社、2010年9月 不可能犯罪ものの短編を書いていた杜撰の初の長編作品。 2.短編集 中国のミステリ雑誌『歳月・推理』で活躍する作家2人の作品集を挙げる。(一部のみ既読) 公式サイトで表紙や作品紹介が見られる(http //mysteryworld.cn/shownews.asp?news_id=220) (1) 御手洗熊猫 (ユーショウシー ションマオ、みたらい ぱんだ) 『御手洗浊的流浪 - 御手洗浊探案集 Mitarai Daku is Wandering』 (御手洗濁の流浪) 北京出版社、2009年4月 アジア本格リーグの水天一色『蝶の夢』巻末や『本格ミステリー・ワールド 2010』で紹介されていた、非常に気になる筆名の推理作家の短編集。現在までに、御手洗熊猫の作品で単行本として刊行されているのはこの1冊のみ(『蝶の夢』巻末で紹介されている長編ミステリ『島田流殺人事件』は未刊行)。 作者の御手洗熊猫は、この短編集が出た時には上海師範大学在学中。 収録作品(5編) 「二十角館の首なし死体」、「世俗辺縁的歌者」、「奇想天外の瞬間移動マジック」、「人体博物館謀殺案」、「消失的詭計不見了」 探偵役は御手洗濁(ユーショウシー ジュオ、みたらい だく)。 筆名や探偵役の名前から考えて、ふざけた感じのパロディなのかと思っていたらそんなことはなく、トリックやロジックを重視したしっかりとした本格だった(と思う。読解力の都合上、断言はできない)。 巻頭の作品「二十角館の首なし死体」では、脚注に高木彬光、島田荘司、綾辻行人、有栖川有栖、京極夏彦、森博嗣らたくさんの日本の推理作家の名前が登場する。 長編『島田流殺人事件』――紹介ページ(日本語) (2) 杜撰 (ずさん、ドゥージュアン) 『纯属杜撰』(純属杜撰) 内蒙古人民出版社(のちに台湾でも2分冊で刊行) 『纯属杜撰2』(純属杜撰2) 北京出版社、2009年4月 『第五元素』 北京出版社、2009年 各8編収録。「不可能犯罪」ものの短編を書き続けている作家だと、『本格ミステリー・ワールド 2010』では紹介されている。 作者の杜撰は1984年生まれ。 『純属杜撰2』に収録の「美人鱼之恋」(人魚の恋)では、ホテルの一室から女性が消える密室トリックを扱っている。 関連記事 中国ミステリ 読書案内 中国ミステリについて知るための資料リスト このアジアミステリを邦訳してほしい! 台湾ミステリ編 韓国ミステリ編 中国ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/stealth_marketing/pages/28.html
何故ステマは駄目なのか。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/188.html
2012年5月12日 大きな地図で見る 「オランダの推理小説」というものが日本でことさら取り上げられることはほとんどない。オランダの外交官・東洋学者・探偵作家のロバート・ファン・ヒューリック(1910-1967)は例外的に日本での知名度が高いが、その作品が「オランダの推理小説」だと意識されることはあまりないだろう。ファン・ヒューリックは中国を舞台とするミステリを英語で執筆していたからである。 とはいえ、オランダと日本の推理小説界の因縁(?)は浅くない。西洋の探偵小説が初めて日本語に翻訳されたのは江戸時代末期だとされるが、その翻訳探偵小説はオランダの作品だったのである。また、江戸川乱歩は前述のロバート・ファン・ヒューリックと親しい付き合いがあったほか、日本ではまったく無名のオランダの探偵作家W・G・キエルドルフと手紙のやり取りをしたりもしている。以下では日本との関係をメインに、オランダ推理小説の歴史を紹介する。 関連記事:「オランダ語に翻訳された日本の推理小説/ミステリ」(2012年5月12日) Index 江戸時代に邦訳されたクリステメイエルの短編探偵小説2編 江戸川乱歩とオランダの探偵作家の交流 W・G・キエルドルフによるオランダ探偵小説略史(20世紀初頭~1950年代) 1960年代以降の主なミステリ作家 オランダ推理作家協会とフランドル推理作家協会 江戸時代に邦訳されたクリステメイエルの短編探偵小説2編 今から151年前、江戸時代末期の西暦1861年(明治元年は1868年)、洋学者の神田孝平(たかひら)(1830-1898)がオランダの短編探偵小説(または探偵実話)2編を和訳している。これが西洋の探偵物の最初の邦訳だとされている。神田孝平自身がつけた訳題は「ヨンケル・ファン・ロデレイキ一件」と「青騎兵并(ならびに)右家族共吟味一件」。1997年に西田耕三氏が神田孝平の訳文を現代語に訳して出版した際には、タイトルは「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」、「青騎兵とその家族の捜査の顚末」としている。現代語の方が分かりやすいので、以下、これらの作品については西田耕三氏の訳題を使うこととする。 「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」と「青騎兵とその家族の捜査の顚末」の作者はオランダのヤン・バスティアン・クリステメイエル(Jan Bastiaan Christemeijer、1794-1872)。この2編は、1820年に出版のクリステメイエル『刑事裁判および人間の過失の実録からなる文書』(短編5編収録、訳題は宮永孝氏に拠る)に掲載されたのが最初だと目されている。その前年にはクリステメイエルの同様の趣旨の短編7編を収録する本が出版されており、1830年にはその2冊を合わせた全12編収録の本が出版されている。神田孝平はこの1830年出版の本から2編を選んで翻訳したのである(この1830年版はGoogleブックスで全ページ閲覧可能)。 この2編は神田孝平が1861年に翻訳してからすぐに広く世間に知られた訳ではなく、最初は写本の形で回し読みされた。「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」の方は1877年から1878年にかけて「楊牙児(ヨンゲル)ノ奇獄」というタイトルで雑誌『花月新誌』に連載されたのが世に出た最初で、1886年には『和蘭美政録 楊牙児奇談』(Googleブックスで全ページ閲覧可能)というタイトルで出版されている。これらは神田孝平の訳文のまま世に出た訳ではなく、一部が省略されるなど他人の手が加わっていた。なお、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の「モルグ街の殺人」が初めて邦訳・新聞掲載されたのが1887年、須藤南翠(1857-1920)の「殺人犯」の発表が1888年、黒岩涙香(1862-1920)の「無惨」の発表が1889年である。「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」の邦訳が世に出たのはそれらよりも早かったことになる。 「青騎兵とその家族の捜査の顚末」の方は、1892年に『日本之法律』に「探偵小説 青騎兵」というタイトルで連載されたのが世に出た最初である(川戸道昭氏の論文「ミステリー小説のあけぼの」で明らかにされた)。同時期に『日本之少年』にも連載された。のちに『新青年』1931年4月号にも掲載されている。 さて、探偵小説の嚆矢とされるエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」が発表されたのが1841年なので、クリステメイエルの作品はそれよりも早いということになる。法政大学教授で、原典およびクリステメイエルについての詳細な調査を行った宮永孝氏は論文「楊牙児(ヨンケル)奇獄」(2011)で以下のように書いている。 ポーの先の探偵小説【注:「モルグ街の殺人」】が活字となる二十年ほど前に、オランダにおいてちゃんとした探偵小説が存在したのである。が、オランダ語といった特異な言語のせいか、世間の注意をほとんど惹かず、また大して問題にもされず、こんにちに至っている。 同論文(こちらで全文閲覧可能)の末尾には、宮永氏による 「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」のオランダ語原典からの翻訳「ヨンケル・ファン・ロデレイケ一件――別名 喜劇の表題(タイトル)によって発覚した二重殺人事件」が付されている。気になる方は、ぜひこちらで実際に読んでもらいたい。 なお、中島河太郎氏は宮永孝氏の調査結果を紹介しつつ、「日本探偵小説史」で以下のような見解を示している。 中島河太郎「日本探偵小説史」『日本探偵小説全集12 名作集2』創元推理文庫、1989年2月、p.609-610より引用 ともかく日本の最初の翻訳探偵小説の身許がようやくつきとめられた。原作は一八二〇年刊行のオランダの作品となると、ポオの「モルグ街の殺人」より、さらに遡ること二十年あまりである。肝腎の原著者については皆目分らないし、また構成の上から眺めても、果たして小説として書かれたか疑問が残らないわけではない。「楊牙児」は(――ネタばれ――)に趣向があり、「青騎兵」は二つの事件を交錯させ、他人を陥れようと種々のトリックを弄するおもしろ味はあるが、ともかく推理的部分は薄弱で、本格的構成はポオに譲らなければならない。 西田耕三氏による神田孝平の訳文からの現代語訳(「ヨンケル・ファン・ロデレイキ殺人事件」、「青騎兵とその家族の捜査の顚末」)は、西田耕三編『日本最初の翻訳ミステリー小説 吉野作造と神田孝平』(耕風社、1997年)に収録されている。「青騎兵とその家族の捜査の顚末」が現代語で読めるのはおそらくこの本だけだろう。なおこの本には、神田孝平が和訳した「ヨンケル・ファン・ロデレイキ一件」と「青騎兵并(ならびに)右家族共吟味一件」、および1877年に『花月新誌』に掲載されたバージョンの「楊牙児ノ奇獄」も収録されている。 おまけ:なお、SFで最初に邦訳されたのもオランダの作品だそうだ。北原尚彦『SF万国博覧会』(青弓社、2000年)によるとその作品は、ジヲス・コリデスの『新未来記』。1868年に近藤真琴によって訳され、その10年後に刊行されたとのこと。横田順彌『日本SFこてん古典』にあらすじ紹介などがあるそうだ。 江戸川乱歩とオランダの探偵作家の交流 江戸川乱歩(1894-1965)がオランダの探偵作家のロバート・ファン・ヒューリック(Robert van Gulik、1910-1967)と交流があったというのはよく知られた話だろう。ファン・ヒューリックは中国の裁判小説に題材をとった狄(ディー)判事シリーズ(ハヤカワ・ミステリで全作品邦訳されている)で知られるが、外交官・東洋学者でもあり、日本語・中国語に堪能だった。乱歩は1949年の大みそか、高島屋の古書展でファン・ヒューリックが中国語から英訳した『Dee Goong An』(狄(ディー)公案)を入手。乱歩はこの中国の探偵小説を「長篇本格探偵小説の体をなしていて西洋のガボリオやボアゴベイに比べても、大して見劣りしない」(探偵作家クラブ会報第33号、1950年2月)と称賛している。乱歩は古書店の店主を通じてファン・ヒューリック本人とも連絡を取り、1950年5月の土曜会(探偵作家クラブの月例会)に招いたりもしている。その模様は、雑誌『宝石』に掲載の座談会「中国の探偵小説を語る」(1950年9月号)で読むことができる(ロバート・ファン・ヒューリック『柳園の壺』[ハヤカワ・ミステリ、2005年]巻末にも一部再録)。なおファン・ヒューリックはオランダの推理作家だが、作品は英語で執筆した。最初の創作"The Chinese Maze Murders"の邦訳が『迷路の殺人』と題されて英語版に先駆けて出版されたのは1951年のことである(2009年刊のハヤカワ・ミステリ版のタイトルは『沙蘭(さらん)の迷路』)。 乱歩は1957年、ファン・ヒューリックの仲介で、オランダの探偵作家のW・G・キエルドルフ(Wilhelm Gustave Kierdorff、1912-1984)と手紙のやり取りをしている。キエルドルフが乱歩に送った手紙によれば、キエルドルフは1956年、オランダの探偵作家クラブであるジェフリー・ギル・クラブ(Geoffrey Gill Club)を創設。会員は約50名。クラブの名称になっているジェフリー・ギルとは、オランダ探偵小説の創始者とされるイファンス(Ivans、本名:Jakob van Schevichaven、1866-1935)の作品で主人公を務めるイギリス人探偵の名前だという。乱歩のもとにはこのジェフリー・ギル・クラブの機関誌『MYSTERIE-Detective』も送られてきている。キエルドルフは機関誌の第3号で日本の探偵小説と探偵作家クラブについて紹介したいと書いているが、それが実現したのかは分からない。キエルドルフは乱歩のほかにも、フランス版EQMMの編集長のモーリス・ルノール(Maurice Renault)、アメリカのドナルド・A・イェイツ(Donald A. Yates)、デンマークのシャーロック・ホームズ・クラブ創設者のヘンリックセン(Henriksen)、フランス在住のペルシャ人フレイドン・ホヴェイダ(Fereydoun Hoveyda、邦訳書に『推理小説の歴史はアルキメデスに始まる』[東京創元社、1981年]等)、オーストラリアの探偵作家アーサー・アップフィールド(Arthur Upfield)など、世界中の探偵小説関係者と連絡をとっていたようだ。キエルドルフが乱歩に送った最初の手紙の原文(英語)は、日本探偵作家クラブ会報第133号(1958年9月)に全文掲載されている。乱歩とキエルドルフの手紙のやり取りがどれぐらい続いたのかは分からない。乱歩はキエルドルフの最初の手紙に対して「詳しい返事を出しておいた」(日本探偵作家クラブ会報第119号、1957年5・6月)と書いているので少なくとも1度は返信したようだが、お互い手紙を1通送ったきりで終わってしまったのかもしれない。 乱歩は海外のミステリ事情の紹介に熱心で、1960年11月の日本探偵作家クラブ会報第158号では英国推理作家協会(CWA)会報1960年8月号の記事を紹介している。それによれば、オランダのジェフリー・ギル・クラブのJacqueline Kempeesが英国推理作家協会に、オランダの推理小説界を紹介する手紙を寄越してきたのだという。英国推理作家協会に寄せられたこの手紙では、ジェフリー・ギル・クラブの会長はピム・ホフドルプ(Pim Hofdorp)とされていた。乱歩は気付いていなかったと思われるが、ピム・ホフドルプというのはW・G・キエルドルフの筆名であり、つまりホフドルプとキエルドルフは同一人物である。 ところで、W・G・キエルドルフとは一体何者だったのだろう。オランダ語版Wikipediaの記事をGoogle翻訳で英語に直すという不確かな方法に頼って紹介すると、W・G・キエルドルフは1912年2月4日生まれ。ピム・ホフドルプ(Pim Hofdorp)という筆名で、1959年から1980年にかけて、オランダのハーグを舞台とする推理小説シリーズを発表した。このシリーズにはハーグについての地誌学的・歴史学的知識がふんだんに盛り込まれていたそうだ。1984年6月9日逝去。残念ながら、その作品の邦訳はない。 W・G・キエルドルフによるオランダ探偵小説略史(20世紀初頭~1950年代) 『探偵倶楽部』1958年7月号にはW・G・キエルドルフの「オランダの探偵小説」という記事が載っている。キエルドルフが乱歩に送った最初の手紙の原文(英語)を読んでみると、その手紙にはキエルドルフがフランス語で書いたオランダ探偵小説略史が同封されていたことが分かる。手紙によれば、モーリス・ルノールが創設したフランスの探偵小説愛好クラブ Club Mystère Fiction の会誌に寄稿したものだという。『探偵倶楽部』に載った記事は、おそらくはこれを翻訳したものだろう。ちなみにネット上を検索してみたところ、Club Mystère Fictionの会誌の目次を紹介しているページがあった(リンク)。キエルドルフの寄稿"Le Roman policier aux Pays-Bas"(オランダの探偵小説)はClub Mystère Fictionの会誌の第5号(1955年11月・12月)に載ったようである。 この時期には乱歩は探偵雑誌『宝石』の編集長となっていたので、キエルドルフの原稿がライバル誌である『探偵倶楽部』に載ったのは少々不思議である。 以下、W・G・キエルドルフ「オランダの探偵小説」に従って、オランダの1950年代までの探偵小説略史を紹介する。 この記事によれば、オランダ探偵小説の創始者であるイファンス(Ivans、本名:Jakob van Schevichaven、1866-1935)は1910年にデビュー。この特異な筆名は本名の一部を拾って作られたものである(J + van + S → Ivans)。イファンスの探偵小説で探偵役を務めるのは、シャーロック・ホームズそっくりのイギリス人名探偵ジェフリー・ギル(Geoffrey Gill)。ワトソン役はオランダの法学博士ウィレム・ヘンドリクス。ジェフリー・ギルの探偵譚は1930年までにオランダ国内に10万人の読者を獲得し、北欧の言語にも翻訳されたという。 イファンスの後継者とみなされていたのが探偵作家のハファンク(Havank、本名:Hendrikus Frederikus van der Kallen、1904-1964)。この筆名はイファンスの筆名と同じやり方で作られている(H + van + K → Havank)。ハファンクはパリ警視庁のシルヴェール警部(Silvère)とその助手シャルル・カルリエ(Charles C.M. Carlier、通称Schaduw[影、シャドー])を主人公とする探偵小説を執筆。2人はヨーロッパ各地で活躍。時にはオランダが舞台になることもあったが、基本的にはフランスが舞台の作品が多い。 大手出版社のブルーナ社が1947年、新人探偵作家発掘のためのコンテストを開始。これによりオランダの探偵小説は飛躍することになる。受賞者の中で特筆すべきはアムステルダムの新聞記者、ヨープ・ファン・デン・ブルーク(Joop van den Broek、1926-1997)。彼の受賞作の『ナドラのための真珠』(Parels voor Nadra、1953)は、ジャカルタの質屋で盗まれた真珠の財宝が主題になっている。この作者はアメリカのハードボイルド、特にミッキー・スピレーンの影響を受けていたという。同時期には、ベルト・ヤーピン(Bert Japin)、アプ・フィッセル(Ab Visser)、ハリエット・フレーゼル(Harriët Freezer)、エリーネ・カーピット(Eline Capit)、ボプ・ファン・オイエン(Bob van Oyen)など続々と若手の探偵作家が登場している。 ちなみにブルーナ社は、ミッフィーで知られるディック・ブルーナ(Dick Bruna)の父が経営していた出版社である。ディック・ブルーナはブルーナ社の推理小説のペーパーバックの表紙デザインを手がけており、その数は2000点以上にのぼるという。その一部は輸入雑貨店assistonのサイトのこちらのページや、古書店dessinのサイトのこちらのページなどで見ることができる。 前述のハファンクの作品もブルーナ社から出版されており、ディック・ブルーナが装丁を手がけていた。ハファンクの作品は邦訳がなく、日本のミステリファンの間でその名はまったく知られていないと思うが、この名前は日本のディック・ブルーナファンの間では有名であるらしい。「ハファンク」と日本語で入力して検索してみると、結構な数の情報がヒットする。 ハファンクは創作のほかに英米探偵小説のオランダ語への翻訳も行っていた。1961年に出版された江戸川乱歩のオランダ語訳短編集『Griezelverhalen uit Japan』の編訳者でもある。もちろん日本語からではなく、1956年に出版された江戸川乱歩の英訳短編集『Japanese Tales of Mystery Imagination』から重訳したものだろう。この乱歩のオランダ語訳短編集もブルーナ社から出版されており、ディック・ブルーナが装丁を手がけたようだ。表紙イラストはこちらで見られる。同社より1981年に新装版が刊行されているが、表紙を見てみると、乱歩の名前よりもハファンクの名前の方が目立っている(リンク)。 ほかの特筆すべき作家に、W・H・ファン・エームラント(W.H. van Eemlandt、本名:Willem Hendrik Haasse、1889-1955)がいる。彼は1953年、65歳で探偵作家デビュー。アムステルダム司法警察のアールト・ファン・ハウトヘム警視(Aart van Houthem)を主人公とする探偵小説シリーズを1953年から1955年の3年間で12作発表した。1955年11月逝去。その作品はドロシー・L・セイヤーズと比較されることもあったというが、キエルドルフは、むしろジョルジュ・シムノンのメグレ警部ものと共通する点が多いと述べている。なお、娘のヘラ・ハーセ(Hella Haasse、1918-2011)もミステリ作家ではないが有名な作家で、父よりも早くデビューしている。ヘラ・ハーセの作品は邦訳される予定があるらしい。 キエルドルフ「オランダの探偵小説」に記述されているのはここまでである。この記事はW・H・ファン・エームラントの1955年11月の死去に言及があり、また1955年のことを「去年」と書いていることから、1956年に執筆されたもの(または1956年に発表することが予定されていたもの)だと推定できる。この記事がClub Mystère Fictionの会誌の第5号(1955年11月・12月)に載ったとする推定とは辛うじて矛盾しない。または、乱歩のもとに送られてきたのは、キエルドルフがClub Mystère Fictionの会誌に寄稿したものに少々加筆したものだったのかもしれない。 1960年代以降の主なミステリ作家 1960年代以降のオランダのミステリ界について、日本で知られていることは少ない。ここでは邦訳のある作家について紹介する。 ヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク(Janwillem van de Wetering、1931-2008)はオランダに生まれ、南アフリカ共和国、イギリス、日本、コロンビア、オーストラリアなど世界中を渡り歩く。日本を訪れたのは哲学の勉強を通して禅に興味を持ったためで、京都で一年半ほど座禅三昧の日々を過ごしたという。その後オランダに帰国して警察官となり、1975年、40代で推理作家デビューした。代表シリーズはアムステルダム警察のフライプストラ警部補(Grijpstra)とデ・ヒール巡査部長(de Gier)のシリーズで、日本では第4作まで邦訳されている。ほかに、日本人の斎藤警部が主人公の短編作品などもある。 ティム・クラベー[ティム・クラベとも表記](Tim Krabbé、1943- )はウェテリンクより10歳以上年下だが、デビューはティム・クラベーの方が早い。1967年にデビューし、現在も執筆活動を続けている。1995年には、前年発表の『マダム・20』(邦訳1996年、青山出版社)でオランダ推理作家協会の黄金の首吊り輪賞を受賞している。邦訳は『マダム・20』のほかに、『失踪』(邦訳1993年、日本放送出版協会)と『洞窟』(邦訳2002年、アーティストハウス)がある。 トーマス・ロス(Tomas Ross、1944- )はオランダ推理作家協会創設の主導者で、会長も務めた人物。本名はウィレム・ホーヘンドールン(Willem Hogendoorn)。1980年ごろから政治小説やサスペンス小説を発表しはじめた。1987年、1996年、2003年に黄金の首吊り輪賞を受賞。1990年にはスウェーデンの推理作家マイ・シューヴァルと合作した『グレタ・ガルボに似た女』がスウェーデンの出版社から刊行されている(邦訳は1993年、角川文庫)。この作品は、それぞれが一章ずつ書き、その原稿を粗訳とともに相手に送り、送られた方がそれに自分なりに手を加えて、また翻訳をつけて送り返す、という方式で執筆されたもので、完成までに3年かかったという。マイ・シューヴァルはマルティン・ベックシリーズの共同執筆者であった夫のペール・ヴァールーが1975年に死去して以来創作から遠ざかっており、『グレタ・ガルボに似た女』は15年ぶりの新作となった。 《世界のミステリ》を特集した『ミステリマガジン』1999年3月号にはオランダの推理作家、クリス・リッペンの短編「芸術」が掲載されている。クリス・リッペン(Chris Rippen、1940- )は48歳で推理作家デビュー。1991年に発表した第2作"Playback"で翌年、オランダ推理作家協会の黄金の首吊り輪賞を受賞。『ミステリマガジン』1999年3月号に短編が掲載された当時にはオランダ推理作家協会の会長も務めていた。 ところで、オランダの南に隣接するベルギーの北半分(フランドル地方)ではオランダ語が使用されており、もちろん、オランダ語で推理小説を執筆している作家もいる。クリス・リッペンの作品の邦訳が載ったのと同じ『ミステリマガジン』1999年3月号には、オランダ語で作品を執筆するベルギー人作家ボブ・メンデスの短編「国王への報告書」も掲載されている。ボブ・メンデス(Bob Mendes、1928- )は1989年に会計士の仕事を辞めてから本格的に執筆活動を開始。1993年には"Vergelding"(復讐)でオランダ推理作家協会の黄金の首吊り輪賞を受賞。1997年には"De kracht van het vuur"(火力)で再度同賞を受賞した。 ベルギーの推理作家としてはジョルジュ・シムノン(Georges Simenon)とスタニスラス=アンドレ・ステーマン(Stanislas-André Steeman)が有名だが、二人はベルギー南部の出身で、創作活動にはフランス語を使用した。 オランダ推理作家協会とフランドル推理作家協会 オランダ推理作家協会(Genootschap van Nederlandstalige Misdaadauteurs[略称 GNM])は1986年創設。同年より毎年、オランダ語で書かれた年間最優秀のミステリ作品に黄金の首吊り輪賞(Gouden Strop、公式サイト)を授与している。この賞の名前は先に言及したヨープ・ファン・デン・ブルーク(Joop van den Broek、1926-1997)が1982年に発表した『黄金の首吊り輪』に由来する。Gouden Strop賞は『ミステリマガジン』1998年4月号p.53では「黄金の首吊り輪賞」、1999年3月号p.35、p.61では「金の投げ縄賞」という訳語が使われている。また、2008年11月号p.66では単に「オランダ推理作家協会賞」とされている。このページでは仮に黄金の首吊り輪賞という訳語を使用しておく。 オランダ推理作家協会は1997年より、年間最優秀新人にシャドー賞(De Schaduwprijs、公式サイト)を授与している。この賞の名前はハファンクの作品に登場するシャドーに由来する。オランダ推理作家協会が主催する賞にはほかに、GNM巨匠賞(De GNM Meesterprijs)がある。 オランダ推理作家協会(GNM)が1986年に創設されたのち、1991年にはベルギー北部のオランダ語使用地域(フランドル地方)でフランドル推理作家協会(Genootschap van Vlaamse Misdaadauteurs[略称 GVM])が創設されている。フランドル推理作家協会は2002年より、オランダ語で執筆された年間最優秀のミステリ作品にダイヤモンドの弾丸賞(Diamanten Kogel)を授与している。前述のボブ・メンデスは2004年、"Medeschuldig"でダイヤモンドの弾丸賞を受賞している。2004年以降、ダイヤモンドの弾丸賞の対象にはオランダの作家の作品も含まれるとされた。 フランドル地方の推理小説を対象とするミステリ賞としては、フランドル推理作家協会が主催するダイヤモンドの弾丸賞以外に、エルキュール・ポアロ賞(Hercule Poirotprijs)というのもある。 関連リンクオランダの推理作家一覧 - オランダ語版Wikipedia フランドル地方の推理作家一覧 - オランダ語版Wikipedia 邦訳されたオランダの推理小説/ミステリ (日本のamazon内に作成したリスト) 関連記事 江戸川乱歩と交流のあった海外ミステリ作家の紹介オランダのロバート・ファン・ヒューリック、W・G・キエルドルフ(当ページ) ソ連のロマン・キム 韓国の金来成(キム・ネソン) ミステリ略史オランダ(当ページ) ソ連/ロシア スペイン・ポルトガル・中南米 イタリア チェコ推理小説略史 インド推理小説探求・受容史
https://w.atwiki.jp/tcskinyu/pages/18.html
連絡事項 12/18 忘年会&送別会 4/22 歓送迎会
https://w.atwiki.jp/tempane-nation/pages/34.html
お客様が自由にギルドを作成・所属・移籍等ができ、ギルドに所属する事でさまざまな恩恵が得られるようになるシステムです。 通常の麻雀の戦績が、あなたの所属しているギルドの組織力に反映される事になります。 ギルドの勢力を拡大させる事で、 ジョブの装備を「経済力」で購入する事ができるようになったり、祭壇を造ることでてんタンをギルドに降臨させ、様々な恩恵を受ける事ができます。 ギルドシステムはお客様の任意による参加型システムとなります。 基本ルール 1アカウント(プレイヤー)で所属できるギルドは1つです。 1アカウントで複数のキャラクター(ジョブ)を育てていても、アカウントでの所属となるのでジョブごとに異なるギルドへ所属は出来ません。 ギルドに所属しない人は、全て「自由貿易都市フリーポート」の所属となります。 新しくギルドに所属する場合、1アカウントで1枚の「羽根」が必要になります。 所属ギルドの移籍や、所属ギルドからの脱退をする場合は当主の許可なく出来ますが、「幹部」は当主の許可が必要となります。 ギルドを移籍する事に規制はかかりません。新規ギルド登録は、ギルド所属申請を当主が承認した翌日午前9時に登録が完了されます。 ギルドに所属すると変わることは? ギルドに所属すると、個人戦績がweb上で表示されるようになります。表示される個人戦績は、自分以外の他のお客様も閲覧可能となります。 (現在の所、個人戦績を表示しないという選択肢はありません) web上で表示される戦績は下記の通りです。 所属ギルド 全ての所持職業 入店回数 全ての着順回数 獲得したギルドpt総数 今月の獲得ギルドpt 個人戦績は、ギルドに所属した時点からの集計となります。 ギルドを移籍・脱退した場合、webで戦績の表示がなくなるとともに、それまでの戦績もクリアさてしまいますのでご注意ください。 ギルドに所属するメリット・デメリット メリット ギルドに所属する事によって、ギルドの勢力拡大に参加し、組織力を上げる事で様々な恩恵が得られます。 例)部署Lvを上げていくと、さまざまなジョブの武器を羽根や経済力で購入する事ができるようになります。 デメリット ギルド当主になる事で、ギルドと自分のギルドに所属する他のお客様に対して責任が生じます。 ギルドに所属する事で、自分の麻雀の戦績が組織力へ直接反映される事になり、所属ギルドへの責任が生じます。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/67.html
2010年4月17日 最終更新:2011年6月22日 どこかの出版社で邦訳してくれないかなあと個人的に思っている作品のタイトルをただ並べていくコーナー。 (長編・短編とも、現在入手可能なもの、または公式サイト上で読めるものを挙げる) 1.長編 台湾推理作家協会所属の推理作家による2作品を挙げる。(両方未読) (1)『冰鏡莊殺人事件』(氷鏡荘殺人事件) 林斯諺(りん しげん、リン スーイェン) ネット書店 博客來書籍館:『冰鏡莊殺人事件』(2009年9月) 第1回(2009年)島田荘司推理小説賞で最終候補に残った3作のうちの1つ。受賞作『虚擬街頭漂流記』は台湾・中国・日本・タイで刊行されるが、最終候補作は台湾と中国以外での刊行予定はない。 作者の林斯諺は1983年生まれ。作品の講評は、『オール讀物』2009年11月号掲載の島田荘司「いま、アジアのミステリーに何が起きているのか」で読むことができる。 (2)『鎧甲館事件』 冷言(れいげん、レンユエン) ネット書店 博客來書籍館:『鎧甲館事件』(2009年2月) 島崎博推薦作品。作者の冷言は1979年生まれ。 2.中短編 すでに長編の邦訳が出ている寵物先生と、上でも紹介した林斯諺の作品を挙げる(既読)。 (1) 寵物先生(ミスターペッツ) 短編 「名為殺意的觀察報告」 (殺意という名の観察報告) http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010328692 (絶版) 短編 「犯罪紅線」 http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010370313 すでに文藝春秋より邦訳『虚擬街頭漂流記』(長編本格ミステリ)が刊行されている作家さん。 1980年生まれ。 2作品とも、台湾の推理作家が推理小説を掲載しているブログ「台灣推理夢工廠」(台湾推理夢工場、http //mysteryfactory.pixnet.net/blog)で読むことができる。 (2) 林斯諺(りんしげん、リンスーイェン) 中編 「淚水狂魔」(涙水狂魔) http //www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010413044 女性を誘拐してその涙を集める犯人と、それを追う女性刑事(主人公)・男性刑事(補佐役)のコンビ、という配役で進むストーリーだが、台湾推理作家協会所属の作家ということでただのサスペンスに終わるはずがなく、通常なら不可能に思えるあるトリックを、仕掛けを二重にすることで可能にさせるという本格推理の技巧が冴える作品になっている。 キャラクターもストーリーも非常に良く、勝手に全訳して日本のどこかの出版社に送りつけようかと思ったほどの作品。 関連記事 台湾ミステリ 読書案内 台湾ミステリについて知るための資料リスト このアジアミステリを邦訳してほしい! 中国ミステリ編 韓国ミステリ編 台湾ミステリ紹介 目次へ
https://w.atwiki.jp/mystery_dangerous/pages/56.html
クリスティア・トレイシー・阿笠 ■性別 女性 ■所持品 紅茶 キャラクター説明 妃芽園学園ミステリー研究会会長。イギリス人と日本人のハーフ。愛称はクリス。 軽くウエーブのかかった金髪。インバネスコートに鹿撃ち帽という古典的な探偵スタイル。 ミステリー作家にして、灰色の脳細胞と呼ばれる頭脳でこれまでも数々の事件を解決してきた名探偵である。 「慌てずに、慌てれば犯人の思う壺というものです じっくりと紅茶でも飲んで事件に向き合いましょう」 特殊能力『グレートディテクティブ』 発動率100% 全キャラの所持アイテムからランダムでユダの金貨を除く所持アイテムがひとつ消失し、アイテム「犯行声明」と入れ替わる。 クリスの能力に触発された孤島に潜む謎の怪盗の犯行である。 なお、「犯行声明」にゲーム的な意味はない。 ■能力原理 これこそが名探偵を名探偵たらしめている能力と自称するクリスの能力。 その実態は過去に妃芽園学園にあらわれた”仮面の13人”未来探偵紅蠍への憧れが生み出した 彼女が解決するための事件を起こす能力である。 彼女の起こす事件とは殺人事件だけとは限らない。 暗号の解読、行方不明の人物、怪盗の登場。 解決する謎があればそれは探偵が解決すべき事件である。 この点において、彼女の能力は未来探偵紅蠍程凶悪ではないと言える。 だが、彼女の目の前で人が殺されたら? それは当然連続殺人の幕開けとなるだろう。
https://w.atwiki.jp/asianmystery/pages/183.html
2015年4月26日 角川学園小説大賞「ヤングミステリー&ホラー部門」の歴史を振り返りつつ、北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月1日刊行)が第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞の「受賞作」だと誤って認識されている件について、なぜそのような誤解が起こったのかを探求した記事です。 Index 「ヤングミステリー&ホラー部門」の新設(2000年) 「ヤングミステリー&ホラー部門」創設の意図 意外なところで語られていた〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉創設の舞台裏 第5回(2001年) 第6回(2002年) 第7回(2003年) 第8回(2004年) 第9回(2005年) 第10回(2006年) 第11回(2007年)――あるいは「ヤングミステリー&ホラー部門」の消失 『匣庭の偶殺魔』が受賞作だと誤認させる叙述トリック(?) おまけ:「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」から「ライトノベル」へ 「ヤングミステリー&ホラー部門」の新設(2000年) 角川学園小説大賞は1996年に創設された。第4回までは応募資格を30歳までに限定。第5回からは応募資格をさらに狭めて25歳までとし、新たに「ヤングミステリー&ホラー部門」を設けた。第7回以降、年齢制限はなくなった。最終選考委員を著名な作家らに委任していたスニーカー大賞と異なり、角川学園小説大賞の選考は最終選考まで編集部が行った。 『ザ・スニーカー』2000年8月号、p.115 第5回角川学園小説大賞募集広告より 毎年ますますグレードアップする「角川学園小説大賞」。 今回から新たに“ヤングミステリー部門”を設け、 次世代に読み継がれていくミステリーを広く募集します! キャラクターミステリー、新本格派、 または新ジャンルのミステリーなど、 バラエティーに富んだ作品を待っています。 新世紀を切り拓く貴方の新しい才能を ぜひ作品にぶつけてください!! 同ページより要項の【募集作品】の部分を引用 【募集作品】 ①ヤングミステリー&ホラー部門 新世紀に向けて若く瑞々しい感覚で描くミステリー作品並びにホラー作品を募集します。もちろん本格派も大歓迎です。但し、未発表のものに限ります。 ②自由部門 従来どおりのエンタテインメント作品を募集します。恋愛、ファンタジー、歴史、SFなどジャンルは問いません。現実の自分の言葉で作品を描いてください。但し、未発表のものに限ります。 ※受賞作は原則としてスニーカー文庫及びティーンズルビー文庫で刊行します。 なお、同じ年の11月には「富士見ミステリー文庫」が創刊されている。 「ヤングミステリー&ホラー部門」創設の意図 角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門の創設意図は、創設の4年後、第8回の選評の中で語られている(『ザ・スニーカー』2004年12月号、p.37)。 《自由部門》選評で、「学園小説大賞」の学園、について触れました。つまり本賞は十代、二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説――いわゆるライトノベルを募集する小説賞であり、さらにはテーマとして広い意味で学園(=学校)を舞台としたものを求めていると。 そのなかでもあえてSFやファンタジーといった、ライトノベルと相性の良い要素よりも、ミステリーやホラーという、これまでライトノベルではあまり扱われてこなかった要素に果敢に取り組んで書かれた作品を読んでみたい、本にしてみたい。《ヤングミステリー&ホラー部門》はこのような考えのもとに設けられたものです。 なお、このページの末尾で触れるが、角川学園小説大賞の選評で「ライトノベル」という言葉が使われたのはこの第8回(2004年12月号)の選評が最初である。それまでは「ヤングアダルト小説」、「ティーンズノベル」などの言葉が使われていた。「ヤングミステリー&ホラー部門」が創設された2000年当時、すでに「ライトノベル」という言葉が一般に普及していたのであれば、この部門の名称は「ライトミステリー&ホラー部門」等になっていたかもしれない。 意外なところで語られていた〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉創設の舞台裏 2015年4月現在、小説『書店ガール』がテレビドラマ化されて話題になっている。その作者である碧野圭氏は元編集者で、『ドラゴンマガジン』編集部に10年、その後、『ザ・スニーカー』編集部に4年いたという。角川学園小説大賞に「ヤングミステリー&ホラー部門」が創設され、またその受賞作を刊行するスニーカー文庫のレーベル内レーベルとして〈スニーカー・ミステリ倶楽部〉が創刊されたのはちょうど碧野氏が『ザ・スニーカー』編集部に配属されたころだった。2015年4月15日に公開されたインタビュー記事でそのころのことが語られている。 WEB本の雑誌 作家の読書道 第159回 碧野圭さん その4「編集者としての日々」 (2015年4月15日公開) 碧野:(略)40代になる頃に、ドラゴンマガジン編集部からザ・スニーカー編集部に移ったら、課長がミステリを立ち上げたいという人だったので、それで読みはじめたんです。岡嶋二人さんの『クラインの壺』を読んで「こんなに面白いミステリが日本にもあるんだ」と思い、その後宮部みゆきさんをほとんど読みました。課長は本社で赤川次郎さんの担当などをやっていた人なので、スニーカーでミステリ文庫を立ち上げようという動きがあって、米澤穂信さんを世に出したりして。 ――え、米澤穂信さんですか。確かに『氷菓』で角川学園小説大賞のヤングミステリ&ホラー部門からデビューされていますけれど、碧野さんも関わっていたんですか。 碧野:編集部選考だったんで、私も選考委員の一人だったんですよ。内緒ですけれど......いえ、書いてもいいですけれど(笑)、米澤さんに嫌な顔されたらどうしよう。まあ、20人くらいで選考したなかの1人でした。そういえば、長谷敏司さんも私が在籍中にスニーカー大賞の金賞でデビューされた方です。こちらは選考委員の先生がいらっしゃるので、私は下読みしかしてませんけど(笑)。ほかにも、乙一さんの『GOTH』や谷川流さんの『涼宮ハルヒの憂鬱」の仕掛けを編集部みんなで考えたり、綾辻行人さんの作家本を作ったり。スニーカーに在籍したのは4年間と短かったけれど、面白いことがたくさんありましたね。 「綾辻行人さんの作家本」というのは、スニーカー・ミステリ倶楽部編『綾辻行人 ミステリ作家徹底解剖』(2002年10月、角川書店)のこと。 第5回(2001年) 第5回(2001年1月31日締切、2001年8月号発表) 応募総数は両部門合わせて152編受賞作奨励賞:北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』【未刊】 奨励賞:米澤汎信『ありうべきよすが~氷菓~』(米澤穂信『氷菓』、2001年11月刊行) 最終候補作橘悠樹『蒼い月は知っている』(白泉社My文庫で2002年7月刊行) 北越南『六の水無の秘め事』 内川潤一『御茶ノ水少年発明社』 北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』あらすじ(『ザ・スニーカー』2001年8月号、p.43より) 絶海の孤島、彩蛾島。正親町と奥入瀬の所属する同好会『蝙蝠の会』は、恒例の親睦合宿のため、現在では無人のこの島を訪れる。ところがその初日、夕食を終えて各自部屋に戻った彼らは、枕もとに奇妙な言葉の書かれたカードを発見。その暗号文は連続殺人を予告していた! 第5回の「受賞者のことば」は結果発表と同じ2001年8月号に掲載。受賞作以外の最終候補作については、選評もあらすじも掲載されていない。 北乃坂柾雪の奨励賞受賞作『悪夢から悪夢へ』は未刊行である。北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月刊行)はネット上のライトノベル賞受賞作品リスト等で奨励賞の「受賞作」だとされており、ネット上の作品評を見てもそう書かれていることが多いが、そうではない。『悪夢から悪夢へ』と『匣庭の偶殺魔』は別の作品である。 北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』と米澤穂信『氷菓』が刊行されるにあたり、『ザ・スニーカー』2001年12月号(2001年10月末発売)のp.177に両者のコメントが掲載されている。北乃坂柾雪はそこでこう述べている。 さて、今回皆様にお披露目させていただける事と相成りました物語は、受賞作とは別個に書き下ろしているのですが、当然こちらも、いわゆる推理小説と呼ばれる類のものです。誰かが死んで、探偵が出てきて、犯人はお前だ! とやるアレです。 第6回(2002年) 第6回(2002年1月31日締切、2002年10月号発表) 応募総数は両部門合わせて448編受賞作優秀賞:渚辺環生『魔を穿(うが)つレイン』【未刊】 最終候補作野村圭人『天神地祇』 大神緋肝『赤い燈』 渚辺環生『魔を穿つレイン』あらすじ(『ザ・スニーカー』2002年10月号、p.49より) ミステリ研究部のその日の話題は、学校の七不思議についてだった。まさか翌日から、その伝説に見立てられ、次々とメンバーが殺されていくとは……。謎の解明とどんでん返しの連続に目くるめく、ジェットコースターミステリー! 『魔を穿つレイン』は2003年2月1日発売と予告されていたが(『ザ・スニーカー』2002年10月号、p.55)、刊行されなかった。 野村圭人の候補作タイトルは2002年8月号p.184の「選考経過報告」では『天神地祇』、2002年10月号p.48の「結果発表」では『天神地祗』となっている(「氏」の下の「一」があるかないかの違い)。四字熟語として正しいのは前者の天神地祇(てんじんちぎ)である。 第7回(2003年) 第7回(2003年3月30日締切、2003年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて528編受賞作なし 最終候補作水口敬文『トリックorとりーと!』 → 2004年11月、『憐(れん) Ren 刻(とき)のナイフと空色のミライ』(第9回スニーカー大賞 奨励賞)でデビュー。 刻永淙『楽園の吊し人』 → 2005年1月、木ノ歌詠(このうた えい)『フォルマント・ブルー カラっぽの僕に、君はうたう。』(第4回富士見ヤングミステリー大賞 佳作)でデビュー。デビューの数年後に瑞智士記(みずち しき)に改名。 内山靖二郎『その手は届かない』 → 2006年7月、『神様のおきにいり』(第2回MF文庫Jライトノベル新人賞 佳作)でデビュー。(それ以前にも共著でTRPG関連の著作あり) 大神ヒキモ『片手の露』 第8回(2004年) 第8回(2004年4月15日締切→5月10日締切、2004年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて631編受賞作奨励賞:鈴原まき『キリングドール』【未刊】 最終候補作船曳信人『布人形』 第一次選考通過作南野海『人魚の海』 三矢野晃一『ホット・ドッグ』 高知『殺人の三原色』 鈴原まき『キリングドール』あらすじ(『ザ・スニーカー』2004年12月号、p.35) 「君たちの中に一人僕の玩具が混じっている。さあ誰が偽物でしょー。分かったらナイフで胸を突き刺してね!」――西洋人形があふれる薄気味悪い洋館。集められた面識のない七人に仕掛けられたデスゲーム。七人の中に一人だけ人形と入れ替わっている者がいるという。一体誰が人形なのか!? 見破らなければ誰かが殺される! 閉鎖空間での恐ろしいサバイバルゲームを切り抜け生き残るのは誰か!? 第8回より募集要項で「原則として、いずれの部門でも大賞および優秀賞の作品は小社より刊行されます。」とされており、奨励賞受賞作の刊行は確約されていない。 第9回(2005年) 第9回(2005年5月10日締切、2005年12月号発表) 応募総数は両部門合わせて612編受賞作優秀賞:山田一『青春俳句講座』(水原佐保『青春俳句講座 初桜』、2006年6月刊行) ※文庫ではなく四六版の単行本として刊行 最終候補作古内旭『るりえの帰還』 ℃ク神凶徒『畜殺ユートピアクライシス』 第一次選考通過作子猫昼寝『Sing a Song Suiside』 酒井章成『境界を彷徨う亡霊』 本覚『ヒトキリVS殺人体験』 第10回(2006年) 第10回(2006年5月10日締切、2007年2月号発表) 応募総数は両部門合わせて617編受賞作なし 最終候補作下村敦史『過去からの殺人』 → 2014年8月に『闇に香る嘘』(江戸川乱歩賞)でデビューした「下村敦史」氏と同一人物だと思われる 野上かずや『無血学園のセルシウス No Murder, No War, But Mystery』 第一次選考通過作(?)岸本浩明『探偵遊戯「鱗粉」』 海空風『『俺の』『私の』探偵倶楽部同好会!』 『ザ・スニーカー』2006年12月号の「選考経過報告」(p.39)には、上記の4作がヤングミステリー&ホラー部門の最終候補作として示されているが、2007年2月号(結果発表・選評掲載号)では最終候補作は下村敦史『過去からの殺人』と野上かずや『無血学園のセルシウス No Murder, No War, But Mystery』の2作品とされている(選評もこの2作の分のみ)。 例年では、10月号で「自由部門」と「ヤングミステリー&ホラー部門」の第一次選考通過作が発表されるが、この回は2006年10月号で「自由部門」の第一次選考通過作しか発表されていない。上記4作は2006年12月号で「最終候補作」として示されているが、実際にはヤングミステリー&ホラー部門の「第一次選考通過作」だったのではないかと思われる。 第11回(2007年)――あるいは「ヤングミステリー&ホラー部門」の消失 第11回(2007年5月31日締切)の募集要項を引用する(『ザ・スニーカー』2007年6月号、p.235)。 第11回の角川学園小説大賞は、第10回まで募集していた〈自由部門〉〈ヤングミステリー&ホラー部門〉を統合します。 「学園」をキーワードにした優秀な応募作品であれば、恋愛、ファンタジー、SF、ミステリー、ホラーなどジャンルを問わず、等しく厳正な社内選考を行い、受賞作を決定します。 なお、第11回の最終候補5作品のなかには、2011年に横溝正史ミステリ大賞を受賞した長沢樹『消失グラデーション』がある(選評は『ザ・スニーカー』2008年2月号に掲載)。もしこのときまだ「ヤングミステリー&ホラー部門」が続いていたら、長沢樹は米澤穂信の「後輩」としてライトノベルレーベルからデビューしていたかもしれない。 また、この回の第一次選考通過作に市井豊『転校生は誰がために泣く』という作品がある(『ザ・スニーカー』2007年10月号、p.121)。2008年に短編「聴き屋の芸術学部祭」がミステリーズ!新人賞の佳作に選ばれてデビューしたミステリ作家、市井豊と同一人物だろうか。 『匣庭の偶殺魔』が受賞作だと誤認させる叙述トリック(?) 北乃坂柾雪『匣庭の偶殺魔』(2001年11月刊行)は角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞の「受賞作」ではない。受賞作である北乃坂柾雪『悪夢から悪夢へ』と、北乃坂柾雪のデビュー作である(そして現在までに唯一の作品である)『匣庭の偶殺魔』は別の作品である。 先にも引用したが、『匣庭の偶殺魔』発売直前に『ザ・スニーカー』2001年12月号(2001年10月末発売)p.177に載った北乃坂柾雪のコメントを再度引用しておく。 さて、今回皆様にお披露目させていただける事と相成りました物語は、受賞作とは別個に書き下ろしているのですが、当然こちらも、いわゆる推理小説と呼ばれる類のものです。誰かが死んで、探偵が出てきて、犯人はお前だ! とやるアレです。 このように早々に真相(?)は明かされていたのだが、その後約十余年にわたって、『匣庭の偶殺魔』が受賞作だという誤認は続くことになる。 2001年11月に角川スニーカー文庫で刊行された『匣庭の偶殺魔』を見ると、この作品が角川学園小説大賞奨励賞の「受賞作」であるとは実はどこにも書かれていない。それは各所で徹底されている。 著者略歴『氷菓』 2001年、第五回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を本作で受賞。 『匣庭の偶殺魔』 1981年生まれ。高校一年生の頃、友人に唆され成り行きで小説を書き始める。現在某理系大学の生物科学科に潜伏中。 Amazonに掲載されている内容紹介『氷菓』 第五回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞受賞作! 何事にも積極的に関わらない奉太郎が、姉の命令で入部させられた古典部で、部員の少女の叔父が関わった三十三年前に起きた事件の真相に迫る。省エネ少年と好奇心少女が繰り広げる青春ミステリー。 『匣庭の偶殺魔』 大学内で連続する奇妙な殺人。己の影に怯える男。孤島を襲う大虐殺。美しき狂博士、奥入瀬が切り裂く謎のヴェールの向こうには……。第五回角川学園小説大賞奨励賞受賞の新鋭による、精緻で残酷な本格ミステリー。 ただし、『匣庭の偶殺魔』の裏表紙には「第五回角川学園小説大賞奨励賞受賞」と書かれている。これは、北乃坂柾雪がこの賞を受賞したということを意味しているのだろう。あくまでも、「受賞」であって「受賞作」とは書かれていないことに注意しなければならない。とはいえこの表記については、フェアかアンフェアか意見は分かれるだろう。 おまけ:「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」から「ライトノベル」へ 角川学園小説大賞の選評では当初、「ライトノベル」という言葉は使用されていない。『ザ・スニーカー』2004年12月号に掲載された第8回の選評に初めて「ライトノベル」という言葉が出てくる。それまでは、「ヤングアダルト文庫」「ヤングアダルト小説」「ティーンズノベル」などの言葉が使用されていた。 第5回選評(2001年8月号、p.41):ヤングアダルト文庫の読者である中学生、高校生、大学生、あるいはいろんな学校に通う若いみんなに、自分の読みたいストーリーを自分ならではの言葉、自分ならではの感覚で語ってほしい、という意図のもと1996年に設立された角川学園小説大賞。 第6回選評(2002年10月号、p.50):本賞は、十代二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説の中でも、広い意味で、学園/学校を舞台にしたものを対象としてきました。 第7回選評(2003年12月号、p.148):角川学園小説大賞は十代、二十代の読者に向けて書かれたエンタテインメント小説――いわゆるティーンズノベルを募集する小説賞です。そしてティーンズノベルというジャンルの中でも本賞は、テーマとして広い意味で学園(=学校)を舞台としたものを求めてきました。 第8回選評(2004年12月号、p.36):角川学園小説大賞は十代、二十代の読者を想定して書かれたエンタテインメント小説――いわゆるライトノベルを募集する小説賞です。そしてライトノベルというジャンルの中でも本賞は、広い意味での学園(=学校)をテーマにしたものを求めてきました。 角川学園小説大賞では今でいう「ライトノベル」からやや外れている、と編集部が考えた作品には「特別賞」が与えられていたが、当時の選評では「ライトノベル」という言葉は使われていない。 第5回自由部門 特別賞、滝本竜彦『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』に対する選評(2001年8月号、p.41)しかし、内省的な表現が多く見られたためヤングアダルト小説としてはどうかとの意見が多く、特別賞の受賞となりました。 第7回自由部門 特別賞、十文字青『純潔ブルースプリング』に対する選評(2003年12月号、p.148)しかし、ティーンズノベルという枠組みから、やや外れていたことから特別賞ということになりました。 ※このページは2012年2月にほぼ書き上げ、「仕上げをしてから公開しよう」と思ったまま3年間放置していたものです。「直木賞のすべて」の子サイト「文学賞の世界」に「ライトノベル」カテゴリが新設されたのを機に、少々見直しをして公開することにいたしました。